若松南海岸通り
ストーリー
若松南海岸通り
かつて日本一の石炭積出港として栄えた「若松」。
明治・大正期の浪漫あふれる建築物や史跡などが数多く遺るのは、多くの人がこの地を愛している証。
100年以上経っても色褪せない景色と土地の魅力は、この先も未来へ受け継がれていくだろう。
ノスタルジックな岸辺のシーンに、アーティスティックなライフスタイルを。
普遍的で近代の歴史が色濃く映る街並みに、都市への利便性と海沿いのリゾート感を融合させた新しい暮らしが日常となる。
私が好きな風景は、私が過ごした「美しい思い出の風景」となる。
ノスタルジックな散歩道
上野ビル
三菱合資会社若松支店として大正2年に建築。 2〜3階が吹き抜けで、回廊によって事務所の入り口を確保し、ステンドガラスによる光天井は当時のまま。現在も事務所や店舗として使用されています。
(平成25年3月に国登録有形文化財に登録、平成29年4月日本遺産に認定)
若松石炭会館
若松石炭会館は若松区内に現存する洋風建築としては最も古い建造物(明治38年)で、建築当初は若松石炭商同業組合の事務所でしたが、昭和19年に社団法人若松石炭協会となり、昭和48年からは株式会社石炭会館として今も事務所に使用されています。
旧ごんぞう小屋
「ごんぞう」とは、若松が日本一の石炭積出基地だった頃、海上労働をした沖仲仕の事です。「旧ごんぞう小屋」は、北九州の産業の近代化を、肉体労働で支えた方たちの功績を後世に伝えていくために、当時のごんぞう達の詰所を再現し整備されました。
旧古河鉱業若松ビル
レンガ造りのこのビルは、大正8年に建築され、現在若松に残された近代建築の中では最も華やかな外観をもっています。コミュニティホールとして一般開放されており、若松南海岸通りのシンボル的存在です。
(平成20年7月国登録有形文化財に登録、平成29年4月日本遺産に認定)
火野葦平旧居「河伯洞」
河伯洞は、本市出身の芥川賞作家火野葦平(本名玉井勝則、明治39年生)が昭和15年からその生涯を終えた同35年までの大半を過ごした建物です。二階にある書斎からは『花と龍』『革命前後』などの作品が生み出されました。
料亭金鍋
国登録文化財(建造物)。明治28年に創業した老舗の料亭。本館の重厚な黒漆喰の外観と丸太材を使用した表門は、再建当時の若松の繁栄を今に伝える建築として、また失われつつあるこの地域の歴史的景観の中で貴重な存在となっています。
※掲載の情報及写真は、2021年7月現在のものです。
環境を自慢したくなるスポットがいたるところに。
時間と季節によって楽しみ方もそれぞれ。
中でも夏の夕暮れは、一段とワクワクする画が眼前に広がる。
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